くうきのうた

頭の中のアウトプット、思考の整理、日々の記録、占星術の独自考察やメモなどを書いてるblogです。

冥王星に集約される火の民

 

 

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さて、書くか。

 

 

星の話になってしまうが、9月2日から

冥王星山羊座に戻るらしい。

 

最後の山羊座、、

 

約2ヶ月ぐらいだろうか。

 

さよなら山羊座時代って感じに

なるのではなかろうか。

 

終わるときというのは執着めいたものを

手放すことが肝になっていくのだろう。

 

まぁ、時代の流れだからしかたがない

といえばしかたがないのだが、なにかの

終わりというのはさみしさをおぼえる

こともある。

 

 

 

話を変えよう。

 

ちょっとドロドロした話でも書いて

みようか。

 

ここ数年自分のなかのドロドロした

部分と向き合わされている気がする。

 

こんな感情を自分は抱いていたのかとか

これまで知らなかった自分の一面と

いうのを垣間見る場面に出くわしている。

 

わたしはなるだけ自分の気分を悪くする

ようなものとは関わりをもたないように

考えているのだが、感情が絡むと

そうは言っていられない部分もでてくる。

 

自分のなかの闇とでもいうのだろうか。

 

感情とは自分でどうにかできるものでは

ないのかもしれないと思うようになって

しまった。

 

奥底に眠らせていたもの、それは身内へ

の愛情だったことに気づいた。

 

執着めいたものも家族に対しての想いで

あった。

 

今は離れて暮らしているし、みんなが

生きているとは限らないが、それでも

心の中では生きているといっても

過言じゃない。

 

って、今書いてみて思ったことがある

のだが、うちの家族ってなんだかんだ

うまく機能していたのかもしれない。

 

ケンカすることがよくあったから

仲が悪いのかと思っていたが、それぞれ

が個性を発揮して暮らしていただけに

過ぎないのかもしれない。

 

母親がごはんを別の場所で食べたり

することなど、子どものわたしは

一緒に食べようよと思っていたりしたの

だが、彼女にとってはそれが自分に

適したスタイルであったのだろう。

 

そう考えると彼女に抱いていた気持ちも

やわらいでくる。

 

家族が仲良く常に一緒にという幻想が

自分のなかにあったからつらくなって

いたのかもしれない。

 

家族であれなんであれ、自分と違う人間

なのだから違う部分があるのは当たり前

といえば当たり前のことである。

 

ましてや、うちの母親は継母でもあった

ので理解に苦しむ部分もあったが、

彼女は彼女で大変な思いを抱えていたの

かもしれない。

 

もっと気楽にしてくれたらいいのになと

ことあるごとに思っていた。

 

それだけ、ずっと動きまわっている人

だった。

 

わたしが家のなかでうまく休むことが

できないのもその母の影響もあるのかも

しれない。

 

彼女がゆっくりしている場面というのが

どうしても思い出せない。

 

家政婦のようにいつも動き回っていた

ので、わたしは「うちには家政婦が

いるが母親はいない」という認識で

育った。

 

その代わりといってはなんだが、

「わたしの母親はわたしだ」という認識

も同時にあった。

 

自分には母親が必要だが、母親役を

こなしてくれる人がいない、、と悟って

しまったためか、自分が代役をつとめる

しかないと無意識で判断してしまったの

だろう。

 

わたしは家事をやってくれる人=母親

だとは思っていなかった。

 

気にかけてくれる人が母親なんじゃ

ないかと思っていた。

 

でも、今考えると母は母の仕事を

こなしてくれていたのだろう。

 

ずっと心を開いてくれないままでは

あったが。

 

そんな母もだいぶ前に父と離婚して

もうどこにいるかさえわからない。

 

いろんな嫌な思いをさせてもらったけど

これもたぐりよせた縁によるものだった

としたら、なにか学ぶ必要がある出来事

だったのだろう。

 

現に今このblogを書くネタにはなって

いるわけで、彼女がいなければこの文章

を書くことすらできていないのだと思う。

 

わたしは過去の記憶をもとに今この記事

を書いている。

 

記事のストック材料となるべき

ストーリーであったとするならば

わたしが文字起こしして物語を完結

させてあげればいいだけの話である。

 

 

幸か不幸か執着がわくことというのは

長続きする傾向にあるようだ。

 

そういった意味でもわたしがなんらかの

執着を抱えていることはプラスの側面も

あるのかもしれない。

 

マイナスの気分に浸りたくなくて

避けてきたことではあるのだが、最近は

冥王星との一体化を果たし、そんなこと

は気にならなくなってきた。

 

冥王星蠍座的なこと)との一体化こそ

がわたしの叶えたかった願いであったと

するならば、このような導きに出会えた

ことに対し感謝するしかないのだろう。

 

(流れるままにやっているだけだが)

 

蠍座冥王星とは一体なんなのであろう。

 

“時をまたぐ覇者“というワードが

聞こえてきた。

 

ようは『普遍』ってことだよね。

 

勝てるわけないよね、蠍座には。

 

つまりはドロドロしたなかに普遍性が

眠っているということであろうか。

 

さっぱりしてたい火の民はそりゃ

嫌がりますよね。

 

 

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