くうきのうた

頭の中のアウトプット、思考の整理、日々の記録、占星術の独自考察やメモなどを書いてるblogです。

動けない活動宮

 

 

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火の民はできる限り動いていたい

生き物なのだと思う。

 

動いていないことに対し罪悪感のような

ものを感じてしまう。

 

動けないことは悪だ!とさえ感じて

いる部分もある。

 

しかし、この昨今の世の中の情勢と

きたら、、

 

「動くな!ちょっと待て!」

 

というような動きを止めさせるような

風潮である。

 

それに関し、身動きを抑制させられた

火の民はどこにその憤りをぶつけて

いいかわからず困惑していた。

 

目に見える動きがとれないこと、自分の

思い通りにできないこと、やりかたを

変えていく必要がでてきたことなど、

思考の方向転換に大きく時間がかかって

しまった。

 

だけれども、そうしたことであたらしい

道が開けてきたのかもしれない。

 

わたしはあたふたしながらも

結局は流れに身をまかせて進んでいる

だけである。

 

大昔に立てた旅行のルートがそのまま

適応されているだけに過ぎないという

見方もできる。

 

運がいいのか悪いのか、そんなところ

までは判別することはできないが、

今のところ、なにごともなく平穏無事に

生活することができている。

 

そんなことを考えていると、わたしは

どうも宝物というのに思い入れがある

のだということに気がついた。

 

子どものころからわたしは

“経験は財産だ“というような思いが

あった。

 

自分にとってどんな経験も体験も

すべては宝物であるというふうに感じて

いた。

 

そんなふうに考えていると、どんな経験

も失敗も自分にとってのよき思い出だと

思えてくる。

 

感情に縛られることなく、経験をさせて

もらっているのだと思うことで自分と

いう枠から抜け出していたのかもしれない。

 

まさか、こんなことをこんなところで

発表することになるとは思いもして

いなかったが、自分という存在を使うと

いうことはこういうことなのだろう。

 

昨今の世の中の流れとは「出せるものは

出せ」と言わんばかりの風潮のようにも

感じてしまう。

 

わたしもわたしでそういう見えない圧を

感じ取りやすい体質であるのだろう。

 

動きがもう自分個人の意思というより

全体の流れに同調するしかないような

動きに切り替わってきているように思う。

 

ローカルなものから世界基準のものへ

と移行しているのもそういった部分が

強く出てきているせいなのだろう。

 

なにはともあれ、自分の本質の部分に

どうしても目を向けざるを得ない機会に

恵まれていくのだろう。

 

他からは逃げられたとしても自分からは

逃げることができない。

 

一生付き合う相手というのも、他人より

もまずは自分である。

 

他人をみて自分をみる、というパターン

の人もいるから一概には言えないが

他人がいなくなったときに寄り添って

くれる相手というのもまた自分自身で

あったりする。

 

と考えると、いかに自分自身という存在

に助けられているかということだ。

 

いつも応援してくれるのも、背中を押し

てくれるのも、寄り添ってくれるのも

自分であったりする。

 

と考えると、わたしという呼び方では

なく、「わたし様」と呼んでもいいよう

な気がしてきた。

 

困ったことがあったさいには

 

“わたし様、〇〇してください“

 

と自分におねがいすればいいだけの

話ではなかろうか。

 

そんな感じで自分と付き合うと

また楽しみが増えてくるのかもしれない。

 

 

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