だれも聞いてくれない、、と思っていた。
そんな話を今ではだれでも聞いてくれる
ようになってきた気がしている。
わたしは子どものころから、変な子扱い
されることが多く、あまりまわりの大人
に相手にされてこなかった。
相手にされなかったというより、大人が
考えるような子どもでなかったという
ほうが正しいのかもしれない。
それなのに、今周りにいる人たちは
ほとんどの人たちがわたしの話に耳を
傾けてくれる。
なんてありがたい。
コミュニケーションの取り方が独特
なふうに思われているかもしれないが
まぁなんとかなっているのではないかと
思われる。
わたしの場合、だれかとの会話を
望んでいるわけではなかったりする。
わたしが話したいことを、わたしが
話したいだけだったりする。
返答してくれたらうれしいが、実は
そんなに求めていなかったりする。
無理のない程度に聞いてくれたら嬉しい
という程度である。
しゃべってるうちに自分で解決策が
見つかったりしてくるためだ。
会話は下手なのかもしれない。
なので、普通の人と同じような対応を
求められると困ってしまうことがある。
まわりからすると、扱いづらい人
なのかもしれない。
そんな感じではあるのだろう。
個性的とも言えるのだろうか。
そんなふうにも言われることもある。
でも、今はそんな表現をすることも
できず、まわりに合わせて日常を送って
いる。
わたしはわたしができる表現をしたい
のだろう。
型にはまった表現ではなく、自分に
はまる表現を。
それがどういう形であれ、なんだって
いいのだと思う。
絵とか文章とかもそうだけど、
人とのやり取りの中にもそういう部分が
みえかくれしているのだろう。
それはフリースタイルの自分であるよう
に思う。
型にはまれないじぶん。
型落ちしたじぶん。
そんなところにじぶんっているんだな。
元気があろうと、なかろうとそんなこと
すらどうでもいいと思えるようなじぶん。
楽しんでいるのはそちらのほうのじぶん
なのではなかろうか。
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