くうきのうた

頭の中のアウトプット、思考の整理、日々の記録、占星術の独自考察やメモなどを書いてるblogです。

全部ヨシとする

 

 

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ありとあらゆるものが水のように

流れていく。

 

わたしにはそんなふうに見えている。

 

時間もお金も人も空間も。

 

まるで旅行中にみる車窓からの景色の

ように。

 

現実世界と夢の世界を比べたときに

違うのはなにか、と考えてみる。

 

心の世界と現実の世界を横において

見比べてみる。

 

人生における障害とは、人生のトピック

としてあがってくるけど、それ自体

自分のなかにもともとあったもの

なのかもしれない、と思えてきた。

 

わたしが持っていたものが、現実の

世界に事象として現れてきたときに

障害という形で目にみえてくるのかも

しれない。

 

内在していたものが、現実にわかり

やすい目に見える形として現れたものが

障害として目に映るようになっているの

かもしれない。

 

つまり、内的世界を実世界に映したもの

に目が向くようにできているのだろう。

 

ということは、障害を障害として見る

必要はないのかもしれない。

 

自分の心の状態(もしくは精神構造)が

そのようになっていますよ、という

お知らせに過ぎないのかもしれない。

 

ほんとはなんにも問題などなくて

ただ自分の内的世界を形を変えて現実に

見ているだけなのだとしたら、どんな

問題も全部自分のものとして受け入れら

れるのではなかろうか。

 

形を変えて、というのがミソである。

 

形を変えて、他者がその演技をして

くれる。

 

そして、それに自分が反応して

困惑する。

 

自分が自分の中身をみて、やれこうだ、

あれこうだ、と心の中で議論している

だけなのだとしたら?

 

そして、わたし自身も他者がつくりだす

現実世界に出演させていただき、なに

かしらの演技や、表現をまかされている。

 

その相手の思惑通りに動いていないと

出演NGなんてことにもなったりするの

かもしれない。

 

思惑通りに動いていなくても、見る相手

によってはヨシとされることもあるの

かもしれない。

 

そのジャッジをくだすのは相手の視線

であり、自分と相手の思惑が大幅に

ズレていることだってあるのだろう。

 

そういうときに、不満の声というのが

生まれてくるのかもしれない。

 

 

なにを書きたかったのか?

 

現実世界は想像の世界とも言える。

 

だれかが生み出した世界の中に

われわれは生かされているのだろう。

 

ゆかいな世界もあれば、辛辣な世界も

ある。

 

求めている世界の現象と一致する世界を

作り出すことができる。

 

となるならば、今ある世界は自分が

望んだ世界ということになる。

 

なにもなければ、なにもないことを

望んだのだろう。

 

なにかあるならば、なにかあることを

望んだのだろう。

 

自分に対して肯定的な世界か、否定的な

世界か、まわりの人たちの意見をよく

聞いてみるとよいのかもしれない。

 

昔は否定的なことを言ってくる人が

多かったが、最近はそうでもなくなって

きたというのがわたしの実情のように

思う。。

 

目に見えない変化というのは、観測

しにくい対象ではあるが、自分のなかで

昔よりはよくなったと思えれば、それで

いいのではないだろうか。

 

 

と、自分で自分に言い聞かせることに

した。

 

 

 

以上、

 

自分のなかの思い込みが現実をつくって

いるのかもしれないね、というお話

でした。

 

 

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