くうきのうた

頭の中のアウトプット、思考の整理、日々の記録、占星術の独自考察やメモなどを書いてるblogです。

人は自分のために働いてくれている

 

 

f:id:E_q:20240218002507j:image

 

 

なぜかわたしはいつもまわりに

人がいる。

 

ここでは人に会うことはないだろうと

思っている場所でも人がひょっこり

出てくることがある。

 

いつも不思議だなぁと思っていた。

 

裏を返せば、もしかしたら人に

恵まれているのかもしれない、と

ふと思った。

 

そして、それは実はわたしの財産とも

言えるものなのかもしれない、と

考えるようになった。

 

わたしは基本ひとりが好きなタイプ

だったりする。

 

しかし、ひとりでいたとしても

多くの人がいる中でわたしに声をかけて

きたりする人がいる。

 

これは一体なんなんだろうと思っていた。

 

そして、わたしは基本的には自分から

声をかけることは少ないように思う。

 

たいていはまわりの人たちが気にかけて

声をかけてきてくれているように思う。

 

ありがたいといえば、ありがたいので

あると思うが、実はわたしはそんなふう

に思えないところがあった。

 

本音のところを言えば

なんで、わたしに声をかけてくるの

だろうと常々思っていた。

 

放っておいてほしい、だったり

そっとしておいてほしい、と感じる

ことがあった。

 

だけども、だれかれかまってもらえる

ということはとてもありがたいこと

なのではないかと思えてきた。

 

そして、気づいたことは

みんながわたしのために動いてくれて

いるのではないか、と思えてきた。

 

わたしが思いどおりに動かしたいと

思っているわけではなく、わたしが

思っていることを人は体現してくれて

いるのではないか、と思えてきた。

 

それは頭でどうこうというわけではなく

望む流れが他者をとおして自然とかたち

づくられていくという感じに近いのかも

しれない。

 

でも、よくよく考えるとそれが自分の

流れなのかなと思うところがある。

 

たとえ、だれかに従っているように

見えたとしてもそのことですら

自分がその道を望んでいたから

その人やその道を通って進んでいるの

かなと思えたりする。

 

現状はどんなふうに見えたとしても

なにかに気づくためにその状況は

つくられているように思う。

 

内側でその原因に気づくことが

できればその問題からは逃れることが

できるように思う。

 

逃れることができなかったとしても

その問題が気にならなくなってしまう。

 

もやもやしていた部分が、フラットな

ものとして見れるようになったりする。

 

執着が断ち切れるとも言えるのかも

しれない。

 

そういうことをふまえた上で

人は自分のために働いてくれていると

考えるにいたった。

 

なにかに気づかせるために、人は

わたしに教えてくれる。

 

または、自分の進む道を知らず知らず

のうちにみんなでつくりあげてくれて

いるのだと思う。

 

でも、これは自分が意図しているものが

あるからできることなのかもしれない。

 

自分の中にある意図をくっきりはっきり

させていくと他は自然と除外されていく。

 

そのくっきりはっきりさせていくことが

大事なことのかな、と思っていたりする。

 

自分にとって、それは必要な考えなのか

、なぜそれが気になっているのか、など

きちんと分解したり整理したりして

いけば、なるほど!という境地にいたる

ことがあったりする。

 

身近な人であれ、遠くにいる人であれ、

まだ出会ったことのない人であれ、

一瞬しか関われなかった人であれ、

過去に親しくしていた人であれ、

相手はわたしのために働いてくれている

ありがたい存在なのだ。

 

ムッとすることがあっても、それは

自分になにかを気づかせるために

知らせてくれているだけに過ぎないのだ。

 

喜ばしいことであった場合は、喜びを

ともに分かち合ったりしてくれる。

 

人は自分になにかを教えてくれたり

共感を示してくれたりする。

 

どんなささいなことであれ、仕事の中の

関係であれ、プライベートの関係であれ

、見知らぬ関係であれ、近しい関係で

あれ、実にさまざまな関係性の中で

いろんな人たちがいろんな手段や役割を

とおしてわたしの体験したい現実を

作り出してくれる。

 

人を通して、わたしは自分の人生を

見せてもらっているのだろう。

 

わたしの前に姿をあらわした人たちに

より、人生がつくられているのだろう。

 

そして、その流れの中でわたしは

生かされているし、生きている。

 

みなさんに協力し、働いていただけて

いるおかげでわたしの人生はつくられて

いるし、形どられている。

 

他者とどういう関係であったとしても

他者は自分に何かを運んできてくれている。

 

どんなに小さな存在、または大きな存在

に見えたとしても、わたしの人生は

人をとおして自分を見ている気がする。

 

まるで、みなさんの働きにより

自分の人生が成り立っているみたいだ。

 

そう考えると自分だって、だれかの

お役に立てているのかもしれないと

思えてくるから不思議である。

 

自分でつくっているように見えても

実は他者からの見えない援助があって、

自分の人生が成り立っているのだろう。

 

そう考えたほうが自分にとっては

とても有意義なことのように思える。

 

 

 

#他者

#他人

#見えない援助

#ご縁

#気づき