くうきのうた

頭の中のアウトプット、思考の整理、日々の記録、占星術の独自考察やメモなどを書いてるblogです。

自分の心の声

 

 

 

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執着だった。

 

おかあさんへの執着。

 

「おかあさん、おかあさん!」って

わたしの中で消化しきれないものが

残っていたんだろうな。

 

おかあさんにかまってもらえなかった

ことがあったにもかかわらず、

その気持ちを吐き出すことができずに

自分の中に溜め込んでいたんだな。

 

さみしさを認められずにいたのかも

しれない。

 

もしくは「お姉ちゃんなんだから

我慢しなさい」とでも言われてその通り

にしていたのかもしれない。

 

自分はいつも弱音を吐き出させて

もらえなくてさみしい想いをしていた

ことを思い出した。

 

おばあちゃんが亡くなったときも

「なんか怖い、、」ってまわりの大人に

話しても聞き入れてもらえなかった。

 

だから今でも弱音を吐くことを

ためらう自分がいるのかもしれない。

 

がんばりたいと思っているのかと思えば

そうではない。

 

だれかに弱音を吐いたところで

どうせだれにも聞いてもらえないんじゃ

ないかと思っている。

 

だけど、ようやく気がつくことが

できた。

 

だれにも聞き入れてもらえなくても

自分だけでも聞いてあげたらいいんだ

ということに。

 

だれにも聞いてもらえなかったとしても

自分の気持ちに素直になっていいんだと

いうことに。

 

とても苦しかった。

 

ひとりで苦しみを抱えこんでしまって

いることが。

 

自分が自分の感情を吐き出すことに

許可ができなかった。

 

自分の気持ちを吐き出すことが

とても怖かった。

 

感情に浸りきることがそもそも怖い

と感じていたのかもしれない。。

 

無意識的に頭でそれをセーブしようと

していたのだろう。

 

“感情に浸りきる。“

 

これがわたしにとっての恐怖の源で

あり、最大の恐れであった。

 

とめどなく流れる感情というのは

どこまでいっても海のように広い。

 

それを感じることが子どものころの私は

できなかったのだろう。

 

感情という波にのまれることが

とても怖かったのだろう。

 

だけども、もうわたしの心のダムは

もちこたえられなくなった。

 

我慢の限界がきてしまったようである。

 

わたしのセーブしようとする頭より

心の奥底にあった感情のほうがまさって

しまった。

 

これはとても大きなことだ。

 

さんざん、理屈で通そうとしてきた

人間が感情の波を受け入れることに

なってしまった。

 

もうどうしたらいい??

 

決壊した心のダムとともに

生きていくしかないのだろうな。

 

 

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