くうきのうた

頭の中のアウトプット、思考の整理、日々の記録、占星術の独自考察やメモなどを書いてるblogです。

感情の吐き出し口

 

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言葉を吐き出すことは感情を吐き出す

ことでもあるのだろうか。

 

わたしはなるべく感情的にならない話方

を心がけている。

 

それは感情的に話しても人に伝わらない

と感じた経験があるからだ。

 

それでも、どうしても感情的になって

しまうことがある。

 

人間だからいたしかたないことなのかも

しれない。

 

分析して考えてみると、この場合

「理解してほしい」「わかってほしい」

というような気持ちが強いような

気がする。

 

最近は、とくに甘えられる人もいない

ので自分のそういう部分を見せる場面が

いちじるしく低い傾向にある。

 

親密な関係を築かないことで人に対する

甘えのようなものを削ぎ落とすことが

できているのかもしれない。

 

わたしは基本的には甘えん坊なところが

あると自分では感じている。

 

しかし、そのことにより自分の中の

消化不良な部分を言語化できずにいた。

 

感情的になるにはきっとなんらかの

事情があるのだろう。

 

自分の思惑とはかけ離れた現実に

対応が追いつかないというのが本音に

あったりするのではなかろうか。

 

感情に振り回されてる母をみて、子ども

である自分は対応に困っていた。

 

本当はわたしがそうしたいのに、、と

心のなかでは感じていた。

 

なにが言いたいのかというと、素直に

感情を吐き出せる人が羨ましいと思う

ところだ。

 

わたしは感情的になることはあっても

相手に伝わるような感情の吐き出し方が

できていないのかもしれない。

 

もしくは吐き出す相手を間違えていたの

かもしれない。

 

さっき、喉をさわっていて気がついた

ことはいろんな感情がわたしのなかに

溜まっていて、その吐き出し口が

わたしの場合“手“だったのではないか

と気がついた。

 

わたしは声を使って表現することが

難しいと感じることがある。

 

なんだか、口から出す言葉というのは

相手の様子をうかがってしまうところが

あるためだ。

 

なので、手(キーボード)を使っての

言語表現のほうがわたしには合っている

のだろう。

 

ロジック的な表現というのももしかして

キーボードとの相性がよかったりする

のだろうか。

 

感情的な「うわーーー!」とか

「ひゃぁーーー!」なんていうのは

なにがどうしたんだろう?という

疑問が残るだけで説明がないと表現が

成り立たないのかもしれない。

 

そういう意味での“なにがどうした?“

が必要になってきたのが、このネット

社会に移行してきての流れなのだろう。

 

そういう意味でわれわれはだいぶ

考えるようになってきたのかもしれない。

 

 

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