くうきのうた

頭の中のアウトプット、思考の整理、日々の記録、占星術の独自考察やメモなどを書いてるblogです。

安心感のシェア。

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“なんでもいいから喜んどこう“

 

と、いつからかわたしは考えるように

なった。

 

それはなぜ、そういうことになったかと

いうとわたしがこれまでの人生で

たくさんの手痛い経験をしてきたから

なのかもしれない。

 

人間、いろんな経験をすると反応に困る

ケースも数多く存在するのだと思う。

 

落ち込んだり、トラウマになったり、

慎重になったり、、、

 

なにかがうまくいったときは、調子に

のりすぎて足をふみ外したり、大事な

ものが見えなくなったり、、、

 

自動操縦ばりにうまくいくときは

うまくいくし、なにをしてもいまいち

結果に結び付かず、自分がなにをしたい

のかわからなくなることもあった。

 

わたしの場合は、結果というより

経験がしたいのだということに気づいた。

 

言い換えると、結果をそれほど重視して

いないタイプである。

 

だからこそ、長続きさせるにはどうした

らいいのかということを考えるように

なってきた。

 

しかし、結果的に今思うのは“続かなく

てよかった“ということである。

 

話をまとめると、

 

自分ができうる限りのことには挑戦

してきたが、おそらくわたしの命題は

そういった部分ではなかったのかも

しれないということだ。

 

自分で動くというよりは、他人の動きを

見守ることの方に適性があるような気が

している。

 

この、だれかを見守る、というのは

一見すると大したことのように思われ

るかもしれないが、わたしはとても

大事なことなんじゃないかと思っている。

 

人が心から安心できるのは、だれかが

そばで見守っていてくれると認識できる

ときではなかろうか。

 

もしかすると、そういった安心感を

得たいがために人は行動していたり

するのだろうか。

 

なにかをがんばっていると、応援された

りしてそれがその人の安心感に

つながっていたりするのだろうか。

 

人から与えてもらう安心感というものを

わたしは意識していなかった。

 

あれ、この気づきはけっこう大きいぞ。

 

見守ってもらっていたのは、実はわたし

のほうだったのだろうな。

 

周りの人たちにお世話になりながら。

 

いつもだれかに助けてもらっているし。

 

ありがたいことだと、素直に思えるよう

になったことこそが、一番ありがたい

ことであるとわたしは思っているの

だけれど。

 

いろんな経験があったからこそ、

こういう考えにたどり着けたのかも

しれない。

 

なにもしていないと親からは批判されて

育ってきたが、わたしは彼に安心感を

与えたいと思っていたし、与えられたい

とも思っていた。

 

ただ、見守ること。

 

それがわたしが本当にやりたいことで

あり、周りの人たちに与えたいもの

なのかもしれない。

 

 

 

 

#安心感

#見守る

#自論