くうきのうた

頭の中のアウトプット、思考の整理、日々の記録、占星術の独自考察やメモなどを書いてるblogです。

“あなたはだれですか?“

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“あなたはだれですか?“

 

その問いかけになんと答えればいいの

だろう?

 

空中分解したような気持ちで、

「わたしはわたしです。」

と答えてみる。

 

生まれてこのかた、わたしはずっと

この問いに向き合ってきた気がする。

 

この問いはずっとわたしの中を彷徨い

歩いていた。

 

逆に

 

“わたしはだれですか?“

 

という問いでもいいのかもしれない。

 

「わたしはだれですか?」

 

「わたしはわたしです。」

 

この問いに正解も不正解もない。

 

今日、久しぶりにこの問いに向き合って

みた。

 

「わたしはだれですか?」

 

「あなたはだれですか?」

 

「わたしはわたしなのですか?」

 

「あなたはあなたなのですか?」

 

あまのじゃくな質問なのかもしれない。

 

だけど、この問いはわたしにとって

生きる力を思い出させてくれる。

 

わたしは“だれ“であるのか。

 

そんなことは、わたしにしかわからない

のかもしれない。

 

もしかすると、わたしにもわからない

ことなのかもしれない。

 

「わたしはわたしである。」

 

もしくは

 

「わたしはわたし以外のだれかである。」

 

わたしたちは、時としてわたし以外の

だれかになっていることがあったりする。

 

別の言い方をすれば、自分以外の人の

ことで頭の中を占領されていたりする

ことがある。

 

そういうときは、おそらく自分以外の

だれかに意識を奪われているのだろう。

 

または自分が奪っているとも言えるの

かもしれない。

 

心が苦しくなるときは、他人のことで

頭の中が占領されている時だとわたしは

思っている。

 

自分以外のだれかに、自分の敷地を

必要以上に明け渡すことはない。

 

もうこれ以上、わたしを苦しめないでと

心の声が叫んでいるのだから。

 

小さな自分の声を拾ってあげないと

いけない。

 

それはきっと外からは見えにくいだろう

から。

 

自分で自分の心の痛みに気づいて

あげないといけない。

 

少なくともわたしはそう感じている。

 

他人に惑わされすぎないように心がけて

いないと自分がつらくなってしまう。

 

そんなことをしていても、自分が悲しい

だけではないか?

 

だれかの心を奪ったり、奪われたり。

 

そんなのは、もう楽しくないと思うよう

になってしまった。

 

過去にはそういったことで、苦しんで

いた時期もあった。

 

しかし、もうそういう思いを自分に

させたくないと思うようになった。

 

そして、そういったことをしてくる相手

とは距離を置くことができるようになった。

 

なんか、これだけでもわたしずいぶん

成長したんじゃないかと自分で思って

いる。

 

もちろん、その人自身を嫌っているわけ

ではない。

 

そういう環境下にある人たちなのだと

いう理解を示すことにはしている。

 

わたしもかつてはそのような状況下に

あったのだから、なにかに気づいて

もらえたらという気持ちはとてもある。

 

だけど、本人が気づかないときっと

いつまでたっても堂々巡りなのだろう。

 

と、いうわけで、

 

“わたしはわたしです。“

 

と答えて今日はこの場を締めることに

しよう。

 

では。

 

 

 

 

 

 

#問い

#自分で考える

#哲学