くうきのうた

頭の中のアウトプット、思考の整理、日々の記録、占星術の独自考察やメモなどを書いてるblogです。

愛する人々とともに。

 

 

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はぁ、なんか思いついた。

 

愛する人々とともに、この地球上で

家族のように暮らしている。“

 

という観念でいいのではなかろうか、と。

 

まぁ、ぶっちゃけるとわたしは

わたしが愛する人と暮らしていきたいと

いう願望を抱いていた。

 

しかし、その観念では追いつかないもの

があるよなぁという疑惑が自分の中に

わきあがっていた。

 

だったら、もうこの際そんな願望は

捨ててしまったほうが身のためだと

思えてきた。

 

自分にとって無理のある願望など

持っていたところでしかたがない。

 

愛する人愛する人々、愛する物、

愛する地域、愛するコミュニティ、

愛する家族、愛する動物、愛する自然、

などなど。

 

もうなにかに限定するような考えでは

追いつかない気がしてきた。

 

同じ地球上に住めてるんだから

それでいいか。

 

別に一緒に住むだけが、しあわせの

在り方ではないのだから、そこに固執

する必要はないよね。

 

むしろ、近くにいればいるほど

窮屈に感じられる関係だってあるわけで。

 

だれかと一緒にいたい気持ちもあれば

ひとりでいたい気分のときもあるわけで。

 

だれかが近くにいてくれたら安心する

こともあるだろうけど、そうじゃない

ときもある。

 

直接関わらずとも、関係性を構築する

ことだって可能なはずだろうし。

 

もうわたしはなにかにとらわれる関係に

疲れてしまった。

 

だれかとの付き合いに疲れてしまった。

 

おたがいに自由な関係を構築して

いけばいいだけの話ではないか?

 

形にとらわれず。

 

どんな形でも、この地球上で生きている

ことにはかわりない。

 

身近にいられる時間があっただけ

いいのではないか?

 

一緒にいられないことをなげくより

遠くにいても思いあえる関係性のほうが

ずっといいのではないか、と思えてきた。

 

別々に暮らしていても、お互いが幸せに

暮らせているならそれでいいのではないか。

 

もうそんなふうに思えてきた。

 

(;´д`)

 

どうでもいいよね。

 

一緒に暮らすとか、暮らさないとか。

 

そりゃあ、一緒にいるのがいいことも

あるよ。

 

だけど、離れて暮らすことのメリットも

あるよね。

 

だから、地球上で一緒に暮らしてるって

いうふうに考えたらもうそれでよくない?

 

なんなら、わずらわしさ軽減されて

いいことしかないよね?笑

 

その人じゃなくても

一緒に暮らしてくれる人他にもいる

だろうからさ。

 

一緒に暮らさなくていいよ。

 

他の人見つけよ。( ´ ▽ ` )

 

 

 

#地球の仲間

#一緒に暮らす

#観念