くうきのうた

頭の中のアウトプット、思考の整理、日々の記録、占星術の独自考察やメモなどを書いてるblogです。

エゴとの調和

 

 

 

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諦めることにフォーカスしてみる。

 

なにを諦めるか。

 

もう自分に機能しなくなったもの。

 

ぜんぜん楽しく機能しないもの。

 

機能していないもの、循環していない

ものに対してもう諦めをつけようと

思えた。

 

いうなれば、負のループになっている

もの。

 

伸びしろがないもの。

 

プラスに発展させていけそうにないもの。

 

そういったものとおさらばしよう。

 

もう機能していないもの。

 

見渡してみるとたくさんあるんじゃない

かと思えてきた。

 

見ちゃいけないもの、見たくはないもの。

 

不要な回線を断ち切っていく。

 

不要な思い込みなどもそうだ。

 

もっと広域な宇宙に心を開いてみても

いいのではないか。

 

自分を狭いところに閉じ込めることを

よしとしなくてもいいのかもしれない。

 

理想どおりの自分じゃなくても

いいのかもしれない。

 

ありきたりの自分を捨ててしまっても

いいのかもしれない。

 

いうなれば、自分を捨てるということ。

 

内的な自分を捨てるということ。

 

母に置きざりにされた記憶というのは

これと紐づいているのかもしれない。

 

エゴの声を無視すること。

 

無視するというのは、あまり嬉しくない

ことであるのだが、エゴの声に耳を

傾けるより、エゴの声はスルーして

あげるほうが自分にとっては親切な気が

する。

 

エゴの声に耳を傾けすぎるとほんとに

苦しくなってくる。

 

自分を苦しくさせるのは、他人じゃなく

て、実は自分のエゴなんじゃないかと

思った。

 

エゴの声を一個一個拾っていったとして

も、なんにもなっていない気がする。

 

自分のエゴは満足するかもしれない。

 

近くにいる自分に近しい人をみていて

そう感じた。

 

自分のエゴというもので、自分が

苦しんでいるだけなんじゃないか、と。

 

まわりはなにも悪くないんだと。

 

まわりを勝手に悪者にしてしまう

エゴのしわざなんじゃないかと。

 

エゴの声をうまーく自分のなかに調和

させて、ハイアーセルフと一体化する。

 

この形ができたらすごい楽なんじゃ

ないかと思えた。

 

コントロールしようとしても、エゴは

不足をみつけては自分を苦しませる

方向に持っていこうとする性質が

あるように思う。

 

だから、エゴで考える方向性よりも

体やなんとなくという感覚に従った方が

いいような気がしている。

 

エゴは不足感を生み出している気がする。

 

 

エゴの声をスルーして、循環の流れに

乗った方がいいのではないか。

 

そのほうがスムーズであり、自分にも

他人にも優しくなれる気がしている。

 

加えて、エゴの声を大人しくする方法

というのが“安心感“にあるのではないか

と思う。

 

エゴが何を求めているのか、それは

きっと安心したいという欲求だからだ。

 

(わたしが思うに。)

 

宙ぶらりんのエゴちゃんが、わたしを

安心させてくれと言われんばかりに

騒ぎ出す。

 

暴れるときは、要は安心させてあげれば

いいだけのことなのかもしれない。

 

たぶん、エゴというのは不安がっている

だけなのだろう。

 

心配ないよ、と声をかけてあげれば

すんなりと落ちついてくれるような

気がする。

 

そういうわけで、安心感ってとても

重要なものだったんだな。

 

自分を安心させてあげること、

他人を安心させてあげること、

これができたらいいのかもしれない✨

 

 

 

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