くうきのうた

頭の中のアウトプット、思考の整理、日々の記録、占星術の独自考察やメモなどを書いてるblogです。

安らぎと恐れの世界

 

 

 

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恐れが発生するときというのは

 

“望みが達成されないのではないか?“

 

と疑うときなのではなかろうか。

 

 

または

 

“望みが果たされないのではなかろうか“

 

と疑問に思うときではなかろうか。

 

 

ということは、

 

恐れの正体とは、疑念ともいえるのでは?

 

 

恐れの正体とは、叶わなかったら

どうしよう?無念、、といった想いの

ことではなかろうか。

 

叶わなかったらどうしよう、、とは

なんなのか。

 

叶わなくてもいいと思っていること

なのか?

 

それとも、どうしても叶ってほしい

と思っていることなのか。

 

それとも、どうして叶わないのだろう

と思っていることなのか?

 

 

恐れの正体とは、

 

不安に思うこと、そのものなのでは

ないか?

 

そして、不安が大きければ大きいほど

叶えたい願望が強いことなのかも

しれない。

 

しかし、同時に叶えたくないという

気持ちも一緒にあるのかもしれない。

 

それが叶うことだと確証があるのだと

すれば、たいして不安に思うことも

ないのだろう。

 

不安に思うということは、それだけ

期待も大きく、ある意味でそこに

たくさんの希望を見出しているのかも

しれない。

 

 

恐れの正体とは、

 

いったいなんなんだろう。

 

 

果たして絶対に叶えなければいけない夢

などあるのだろうか。

 

義務的に感じている時点でもうそれは

おかしいのではなかろうか。

 

夢は叶うのが当たり前だと思っている

のか、叶わないのが当たり前だと思って

いるのかでもまた違ってくるのだろう。

 

それは叶わなくてもいい夢なのか?

 

叶ってほしい夢なのか?

 

叶わないと自分の命に関わることだから

なのか。

 

叶わないと自分のメンタルが保てないと

思っているからなのか。

 

世間体を保つためにその夢を叶えようと

しているのか。

 

なにかから逃げようとしてその夢を叶え

たがっているのか。

 

 

 

あぁ、不安から夢を叶えようとしても

うまくいかないのかもしれないね。

 

 

もしかすると、考え方が違っていて

自分や他人を喜ばすために叶えようと

する夢のほうが叶いやすいのかも

しれないね。

 

 

 

なるほど。

 

 

書いていて自分で納得できた。

 

 

 

恐怖はあってもいい。

 

 

だけど、そっちに焦点を合わせるのでは

なく、自分やだれかのしあわせに

つながるような思考パターンができると

いいね。

 

 

体のなかに恐怖で埋め尽くされた

エネルギーゾーンがあって、そこに

フォーカスし続けると不安が増幅して

しまうというカラクリなのかも。

 

 

それじゃあ逆に安心のエネルギーゾーン

をつくってあげて、そこに意識を

フォーカスさせるようにしてあげたら

いいのではなかろうか??

 

安心のゾーンと恐怖のゾーンと

どちらにフォーカスするかで

見えてくるものも違ってくるのかも

しれないね。

 

 

だけど、新しい選択というのは

一種の恐怖を伴うものかもしれないね。

 

 

その入った一歩先の世界で、

また安心を見出していけるといいね。

 

 

 

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