くうきのうた

頭の中のアウトプット、思考の整理、日々の記録、占星術の独自考察やメモなどを書いてるblogです。

祈りか、呪いか。

 

 

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祈りか、呪いか。

 

よくよく考えるとどちらも愛の側面で

あるように思った。

 

愛があるからこそ(または愛をこじらせ

ているからこそ)、祈ったり呪ったり

できるのかなと思う。

 

ちなみに相手が良くなるように願うのが

祈りであり、相手が悪くなるように願う

のが呪いなのかなと個人的には考えて

いる。

 

だけど、願い方に執着めいたものがある

と祈りも呪いとして作用してくることが

あるのかもしれない。

 

ポジティブな気持ちでないと

願っても願っても気持ちが沈んでくる

こともある。

 

明るく考えたくともそうはいかないとき

は、もしかすると呪いのような気持ちに

なっていることもあるのかもしれない。

 

暗い気持ちで相手の不幸を願えば

呪いのようなことになりかねないとは

思うが、結局それをやると自分まで

不幸になりかねないと思うので

あまり人にそういう思いを発することは

やめたほうがいいとは思っている。

 

しかし、なんらかの事情で恨みつらみが

重なり、そういった負の感情を背負った

とき人を呪わざるをえないことになって

しまうのだろう。

 

そういう形で信念体系ができあがって

しまうと、なかなかにそこから抜けだす

ことが難しくなってしまうことがある。

 

でも、それは、さっきも言ったけど、

やる方にとってもやられる方にとっても

いい結果を招かないのだと思う。

 

しかし、そういった信念体系をもつもの

同士が出会ったとき呪いを愛だと錯覚し

愛憎劇が生まれることがあるのかも

しれない。

 

そして、それに気づくのは並大抵のこと

ではないのかもしれない。

 

なので、呪いたい気持ちがわいてきた

ときには相手の幸せを祈れるように

気持ちや考え方を修正していくことを

やっていくことが大事なのではないか

と思った。

 

それができるようになると、

自分もどっぶり深い沼にはまらずに

すむのかもしれない。

 

相手と一緒に深い沼にはまっていたいの

なら、話は別だが。

 

わたしはちょっと、そういうのには

はまりたくないなぁと思ってしまった。

 

だけど、無意識の中に怒りや悲しみの

種を抱えていると、知らないうちに

そういうものに巻き込まれてしまうこと

があるのかもしれない。

 

心が呪いの言葉で満たされることが

あったとしたら、極力祈りの言葉に

変換してあげてほしい。

 

そうすることで自分の身を守ることにも

つながると思うから。

 

そして、なにを隠そう

わたし自身がそういう思いを持っている

ということに気がついた。

 

自覚できただけいいのかもしれない。

 

呪いにならないように、祈りに変えて

いこうと思う。