くうきのうた

頭の中のアウトプット、思考の整理、日々の記録、占星術の独自考察やメモなどを書いてるblogです。

母とのおもいで

 

 

 

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思い出したことを書いてみよう。

 

わたしはそういえば、母から口を

聞いてもらえずに育った。

 

母といっても継母なのだけど。

 

今考えると一種の虐待ともとれる。

 

そのころはなぜ話を聞いてもらえない

のかわからなくて、困っていた。

 

困っていたし、どうしていいか

わからなくてほんとに焦っていた。

 

おかげで変な気遣いが増えたり、

自分のなにがいけないのかを、たぶん

必死になって考えていたように思う。

 

 

 

ある日、とうとう嫌気がさして

ある考えを腹落ちさせてしまったこと

がある。

 

それは、自分はおそらく母から

愛されていないのだろう、という考えで

あった。

 

その考えが自分の中にスコンと

収まった。

 

自分の体のなかにまるでパズルのピース

がぴたりとはまるかのように、自分の

なかに溶け込んでいってしまった。

 

これがおそらく、わたしの心の傷とも

言えるものなのだろう。

 

外部から埋め込まれたわけではない。

 

外部から受けた刺激をもとに

自分で心の傷をつくりだしてしまった。

 

もちろん、それはわたしだけが

悪いわけではないのだと思う。

 

そうすることでしか、心の穴を

埋めることができなかったのかも

しれない。

 

心の空虚感を埋めるために、心の傷を

つくりあげてしまったのかもしれない。

 

しかし、それからというもの

不必要に悩むことが減ったように思う。

 

“わたしは愛されていないのだ。“

 

この信念をつくりあげてしまったことで

心の空虚感は満たされるようになった。

 

そして、なにかにつけて自分が

愛されていないことを理由に、愛して

くれない他人が悪いのだと思うように

なってしまっていたように思う。

 

なんてことなんだ。

 

自分の信念とは、どうやって形成

されるのか。

 

無意識のうちに、こういった経験の中

から生み出されるのが自然なこと

なんじゃなかろうか。

 

無意識のうちに、というところが

自分で気づきにくいポイントでもある。

 

 

 

うんっと、

 

まとめると、心に刺さっていたトゲが

抜けそうな感じがした。

 

なにきっかけかと言われれば、

なにきっかけなんだろう??って

感じではあるのだが。

 

まわりの人たちが気づかせてくれた

といっても過言ではないのかもしれない。

 

魚座シーズンということで心の浄化が

起こっているのかもしれない。

 

“不要な思い込みはもういらないんじゃ

ないですか?“

 

と宇宙が教えてきてくれているようにも

感じたりしている。

 

心の中に空いた穴には、別の観念を

入れ込んであげたらいいと思う。

 

自分が悲しまなくてすむような観念を。

 

だれかになにかをされたからって

決して自分が愛されていないわけでは

ないのだろうから。

 

ちょうど、継母に話を聞く余裕が

なかったのかもしれないし、わたしの

話が継母にとって受け付けがたい内容の

話であった可能性だってある。

 

継母は継母で、なにか自分なりの理由が

あってうちに嫁いできたのだろう。

 

わたしを育てようと思ってうちに

やってきたわけではなく、たまたま

嫁いだ家にわたしという会話の

噛み合いにくい子どもがいたというだけ

のことであったのだろう。

 

わたしは血はつながっていなくとも

仲良くしたいと思っていたが、彼女は

そうとは思っていなかった、という

だけのことである。

 

 

 

、、そうはいっても

 

今、おとなになったからこんなふうに

考えられるようになったのだとは

思うのだけれどね。

 

子どものころは、ほんとになんで

話を聞いてくれないんだろうと思って

いた。

 

さみしいというより、自分の居場所が

ここであっているのか不安になることが

たびたびあった。

 

 

 

そんなことを今日は思い出していた。

 

 

 

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